てまりうた

近況とか育児とかの記録

はてなブログを開設した経緯

2020年2月に妊娠が発覚し、今28週となった。

本日の出勤をもって明日から産休に入らせてもらうのを機に妊婦ブログをはじめてみようと思う。

ただの記録で誰の役にも立たないけど、ただ自分の考えを整理するためだけにつらつらと書いていこうという心持ちでスタートしていく。

 

まず明日から産休なのだがうちの会社は今は結構ホワイトなので

妊娠して申請をすればLADIES休暇という有給が20日付与される。

これと夏休み5日間をあわせて、本来なら8/27からの産休を前倒しで取らせてもらえることになった。

ちなみに有給は悪阻で休んだ時にすべて使い切った。

 

悪阻についてまず書きたい。twitterでも書いたが

妊娠初期はあまり公表しないほうがいいのかな~なんて妊娠前は思ってたけど

こんなにも辛いものだとは思わなかったので普通に愚痴というか心情なり症状なりをボロボロと吐露していた。

1月半ば、まだ妊娠する前から体調が悪くて腹を壊し

会社を連続で休んでいた。医者に行って過敏性大腸炎の診断書をもらい休職手続きに入ったところで妊娠が発覚しそのまま悪阻で会社に行けなくなった。

最初のほうは今思えばまだマシだったが辛かったのはニオイとゲップと吐き気(吐かない)から始まった。

スナックパンを枕元に置いて就寝した。夜眠れない時も多くてスマホTwitterをずっと見ていた。

朝気持ち悪くて起きる毎日が本当に嫌だった。

夫は協力的で家事も全部やってくれたしご飯も買ってきてくれた。

でもほとんど総菜の揚げ物で私はだんだんそれらが食べられなくなっていった。

今日何食べたい?何買って帰る?のLINEもそのうち鬱陶しくなってしまった。

最初は食べづわりかと思ったがスナックパンすら食べるのが厳しくなっていった。

2月後半になって食生活もボロボロになってきて、ついに吐いたりしはじめたので実家にお世話になることにした。

ちょうどいとこの結婚式があってその日は体調も悪くなく夫婦で出席することができた。母の車で会場まで行きそのまま私だけ母たちと一緒に実家に帰ることにした。

実家に世話になれるのはホントにありがたく買い物に行かなくてもある程度食べ物やらそろっているのが良い。自分の家は冷蔵庫を開けてもストックなんてものはない。夫はその日食べる分しか買ってこないからだ。スナックパンしかない。もうスナックパンはいらんねや。

そして結局GWまで実家には世話になり続けることになる。

 

えづきやゲップがひどかった。歯磨きは恐ろしかった。

ひたすら横になって布団の中にいた。体力もなくなりげっそりしていた。

犬のにおいがひどく、特にうちの犬は室内でトイレをするためそれで何回吐いたかしれない。犬は大好きだけどこの時期さすがに仲良くできなかった。

たまに血まじりの時もあった。

吐くときは、何か食べたり飲んだりした後のほうがまだ味があって酸っぱくなくて吐きやすかった。ペロッと吐くときもあれば2階まで響く大音量で死に物狂いな時もあった。

朝にトースト半分食べれたらかなりいいほう、のどが渇くのにコップ一杯の水を飲むのもしんどくて(のどにずっと何かつかえた感じがする)チョビチョビ飲まねばならないこともストレスだった。

魚や生野菜などニオイの強いものは食べられなくなった。晩ご飯は、おかずを一口ずつ食べるといった感じ。

よく食べていたのはDoleのアイスキャンディーバー。アイスの実など。ビスコも食べづわりっぽい時は食べていた。

だいたい12~16週で終わると聞いていたため5月には仕事復帰をする予定だったが

結局だんだんひどくなり悪阻が終わったのは5月の後半だった。

4か月以上悪阻に苦しんだ。

おさまった!?という淡い希望も盛大に吐いて「まだだった・・」と何度も失望した。

 

悪阻ってイメージでは1~2週間ぐらいのイメージだった。

こんなに長いなんて知らなかった。赤子を宿したのに速攻で死にたかった。会社にも迷惑かけるし周りにも甘えたよりまくりで毎朝やっぱり今日も気持ち悪いと絶望の目覚めで出口も見えずホントに死にたくなる。

 

出産まで悪阻が続く人もいるらしいという情報を聞き震え上がっていたがなんとかおさまって本当に本当に良かった。

6月に仕事に復帰したときは夢みたいで泣きそうだった。ずっと横たわって何もできなかったのにと感慨にふけった。もう日常生活には戻れないのではと思ったのだ、本気で。

 

今日はこのぐらいにして、今から会社PC返却の手配をする。