てまりうた

近況とか育児とかの記録

イヤイヤ期とは、親の価値観が可視化される発達イベントである

遅れてきたイヤイヤ期絶賛の我が子、3歳と少し経ちまして。

「〇〇する?」「〇〇は?」と聞くと100%「イヤ」と、へえ~ボタンを押すごとくハンコを押すごとく機械的に一律の返事をくださいます。わかりやすいですね。

「〇〇君」「イヤ」(なにが?名前がいやなん?ごめんやで?)

「お風呂入る?」「イヤ」⇒風呂場に行く (行くんかい、行かんと思ったら行くんかい)

みたいな感じで別にイヤだと思っていなくともイヤというんですね。

 

でも本気で嫌な場合が7割以上を占めていますので、まぁーそりゃ泣き・喚き・暴れ・散らかし・絶叫☆サイクルヒット!みたいなね。プリズムジャンプも飛べそうですね。

(情熱!熱風!スターライトキッス)

 

まあイヤイヤ期についてはあらゆるところでXやinstagramなんかで育児漫画とかたくさんあるので皆さんどこかでその壮絶さをお目にしたことがあるでしょうし、うちもそれにならってます。

 

さて親目線の話で、

私自身、女親なんですが、子供のイヤイヤ期については

・子供が自我を確立しようと様々な心の葛藤をもって成長している。

・ただの我がままではなく自身の主張を伝えようとしている。

・まだ言葉などで表現しきれないもどかしさにいら立っている。

・世間や社会、時間、規律、何もかもまだわからない状態で今から学習していくところである。そこに保育園や用事、日課、風呂や食事、着替え、こちらがすべてこちらの規則に従って子どもをそれに倣わそうとしている。教育であるので、みんながやっているので、必要なことだが少し前まで朝晩もわからない赤ちゃんだったのを胸に留める。

・愛情をはかっている

・発達段階的にわからない概念もまだたくさんあるのでそこを叱っても意味がない

などを頭に置いているため、本格的に叱ることは少ない。

彼の言うことも共感できる。いやだよな。

「いやだね~そうだね~」と共感しながらしれっと着替えさせたり手を引いて玄関に行き靴を履かせしれっと見送ったりする。もう少ししたら理由なんかを理解できてくるはずなので説明しながらやろうと思っている。

 

ちなみにライフハックなんですが、あまりにイヤイヤひどいときは「アレクサ」に話しかけて気をそらせる。これが抜群に気がそれるので親たちはオッケーグーグルやヘイシリを一回試しに頼ってみてほしい。

 

とまあ、イヤイヤ期も辟易することは多いがそこそこ楽しんでいる。

 

たいして男親である私のパートナーの夫はずいぶんと子どもにいら立っているようである。

また、私が子供がイヤイヤした時に叱らないことも彼にとってはいら立つ原因のようだ。

やくざみたいな口の悪いキレ方をするので「口が悪い」と諫めると「じゃあ君が子供を叱ってくれ」とこちらに飛び火したことが数回ある。

私は別にイヤイヤする子供を叱る必要を感じていない。

だが彼はイヤイヤは子供の我がままで親が怒ってしつけるべきと考えているようだ。

 

私から見ると夫はイヤイヤする子供に次第にイライラを募らせドカンとキレているように見える。根本は優しいがそもそもせっかちでイラチな部分がある。

自身の我慢の問題もあるようだが「イヤイヤ期イコール我儘」、怒って聞かせるのが正しいと認識しているようで私との子育ての考えにそもそも齟齬があるようだ。

 

この認識の違いをどうすり合わせればよいものか。

夫の中で私は子供を叱らない甘い親、と映っているのかもしれない。

まぁ怒るのめんどくさいって実はちょっと思っているけど。ん?いやちがうちがう。私はイヤイヤ期の葛藤と成長と自我がもごもごもんごめり

 

わたしだってキレることはある。だってムカつくし叩かれたりして痛いしうるさいし。

ただ無駄にキレたところで仕方がないのだと思っている。子供が怖がるだけ。父親はますます嫌われ母親ばっかりになってみたいな状態を避けたいのに。

夫婦のすり合わせをどうしていけばいいのか、少しずつは伝えているけれど、「お前は間違っとる」なんて早々言えるもんじゃない。私だって合ってるかわかんないのだし。

 

親の価値観すり合わせ方もアレクサに聞いてみようか。

幼児向けアニメからみる世界平和とSNS社会

「あんぱーんち!」

顔がパンのヒーローのぬいぐるみ持って子供が黒いばいきんモチーフの子目掛けて体当たりしてくる。3回も4回も。ばいきんさん、何もしていないよ?

 

我が家はアニメといえば1歳より前からずっと機関車に顔が付いた例のイギリス鉄道を舞台とした3Dアニメばっかり見ていた。

最近少しずつアンパンマンさんに興味を示し始めている。もっぱら、「フランケンロボくん」が大好きで同じ回を何回も何回もずっと見ている。なんでフランケンロボくんが好きなのかはさっぱりわからないが同じ話を何度も見るという幼児あるあるを目の当たりにして(トーマスではそんなことなかった)なるほどこれが育児界隈が言うあたおかになりそうってぇやつだねぇ、まったくやれやれだよあたしゃ、とCV.tarakoの声で頭に響く。

 

さて、毎度毎度ばいきんまんが悪さをしてアンパンマンにアンパンチされ物語は収束するお決まりの起承転結ストーリーであるが

そもそもばいきんまんはなぜ悪さをするかというと

”異常な食欲”

ほぼほぼこれが元凶であった。

ドキンちゃん、コキンちゃん、ホラーマンもしかり、悪役たちの食欲は底知れずいくら食べても食べても食べたりなくておなかがいっぱいにならない。

ドキンちゃんなんかクッキーやケーキを自分で作れるのに飽き足らずばいきんまんとともに「おなかすいた~」と村里へ出ては、変装して食料を大量に食い散らかし、アンパンチされて家に帰る。

変装するのはばいきんまんドキンちゃんだということが知れたら食料を「やい、よこせ」と言ってももらえないからである。

誰かに化ければひとまずご馳走してもらえる。そして異常なまでに食い過ぎて正体がバレる。

なんだかここで疎外されていると感じざるを得ない。

やさしいせかいということで明らかに無視したり嫌ったりはしないけれどうっすら嫌われている。まぁ意地悪とかするし危険な目に合わせてくるから当たり前なんだけど。

 

結局根本の解決は何もなされないまま

アンパンチという暴力により毎度物語は完結する。

だがもちろんまた繰り返される。ばいきんまんは「おぼえてろ」とか言うし反省なんかするキャラクターではないし。

 

ばいきんまんは基本的に彼の欲求としては

「うまいものをたらふく食べたい」が第一にあって

それから「食べるためなら横取りしても意地悪しても攫ったり独り占めしたりしても良い」という独りよがりな我がままで好き放題する。そりゃ嫌われる。

でもだからって暴力で解決はできない。

解決するとしたら奴らの腹を常に満たしておくしかないのだ。

 

たまにばいきんまんが結局何も食べられずに死ぬほど腹を空かせてアンパンチ帰宅するときはものすごくかわいそうと思う。食欲しかない彼になんか少しでも食わせてやってくれ、と。ばいきんまんはどうも自給自足はできないようであるし、アンパンマンの世界にはお金もなく、だからって彼が作るくそ高度そうな精密機械を誰かが食べ物と交換してくれるといったシステムもない。

ばいきんまんは嫌われているので食べ物をそもそも分けてもらえない⇒奪うしかない

悲しいかなこういうルーツとなってしまう。

 

ばいきんまんは嫌われ者なので、彼が現れると「あっ、ばいきんまんだ!」とみんなが言い、遠ざける。

これはコキンちゃん単体だとそんなことはない。コキンちゃんは食べ物を多少奪っても怒られない。悪気も無く、意図的に悪いことはしないから。

でもばいきんまんの遠ざけ方もなかなか悲しくなる。そして悪い奴はみんなでたたいていい、暴力をふるっていい(まぁしかけるのはばいきんまんからなんだけど)・・。そしたらスカッとする。みたいな構図が最近見ていてしんどい。

 

だいたい男児向けアニメにすこぶる多いけどパンチやキックなど物理攻撃で敵をやっつけるのがどうしてもスタンダードになっていて、それで最後はスカッとジャパン!はい論破!悪は滅びる~♪ってなってんのに近頃話題だった私人警察みたいな、SNS叩きみたいな、みんな自分は正義のガワだと思い込んで一人を追い込んでボコボコにしているさまを思わせる。

話飛びすぎ~って思われるかもだが、ばいきんまんに直接の被害を浴びていないやつはギャーギャーいうなとは思う。

お前らは別に正義じゃない。

アンパンマンも暴力をやめろ。話し合え。おいしいものが大量生産できる機械をばいきんまんに作らせろ。それが最終回だ。めでたし。

こどもに向けた言葉は残せなくても

また久しぶりの更新になってしまった。

でも思い出しただけ偉いと思う。

 

やはり子供について書き記す場がないと感じているので

もう少しまめに日記として更新したい。

日記のタイトルも変えた。前のが気に入っていなかったけど今のタイトルもいつかまた流動していくかもしれない。

 

子どもはなんと3歳2ヵ月となった。

3歳ってすごく大きいんですよね。もう赤ちゃんの面影がなくなってしまって、しっかりした夫似の顔つきになった。

まだ話し方はおぼこくて死ぬほどかわいい。

もうパトカーのことをククカーとは言わなくなってしまったが

はっぴばーすでーぷーるーと歌っている。

何かよくわからないけど一生懸命伝えようとしている。

せんせいとこいって、バス見て、でんしゃのって、きゃめるこー食びて、めろんぱんかいにいって、アレクサにバス見せてって、えーっと、えーっと

みたいな感じで繋げてしゃべっている。

 

彼は車と電車がすきでトミカプラレールを愛している。

そしてYouTubeで「はたらくくるま」を歌うひげパパというユーチューバーの動画をよく見ている。この人めちゃくちゃ歌うたっていて、親からしたら癖が強い歌い方だなと感じるのだが子供はこの新バージョンのはたらくくるまを「いえいいえい」「ヘイ、キャモーン」と口ずさんでいる。

なにをするにも時代を感じる。とともに、夫が小さいころ持っていたおさがりのトミカも大事にしているし、祖父宅にある兄が買ってもらった新幹線の手押しのおもちゃも相当気に入っているのでおもちゃってもっと飽きるものだと思っていたけどこんなに長く遊ばれちゃ魂も宿るよなあなんてメルヘンなことを考えてしまう。

 

一旦今日はここまでにして仕事しよ・・またもうちょっとまとまった記事を書きたいな。

赤ちゃん8ヶ月。はちかげつとは。

久しぶりに記事を書く。

やはり文章を書くにはスマホでは時間がかかるし億劫になってしまい中々更新できずにいた、私には自分のPCがない。

妊娠中の辛さや女性性に生まれたことの嘆きを記してきたが今日は少し違う方面について書いてみようかと思った。

といって金曜の深夜である。私は寝た子供を横の部屋に残しアルコールをやっている最中。明日は義父母たちが訪問しにくるというのにこの体たらく。

まあそれは置いといて。

つい最近母方の祖母が老人のための施設に入った。特養に入れたとか。まあそれくらい認知症が進行しているということだが。

その祖母は若い時新聞に文章を投稿することを趣味としていた。

その記事をしっかりとっていた祖父母、母がそれをこの間読ませてもらったらしく、子育て、子供達のエピソードなど書いてあったので嬉しくて心に響いたようで、

それは孫の私が読んでも微笑ましく心温かく、そしてなんだか身内なので少しはにかんだりした。


私も何か文章なり子育ての記録やら思いをどこかに残したいな?

と思ったが絵日記なども書けるわけなく

Twitterは残るものではない

ではここに少し書いておいて運良ければ何かで見つけられるかもしれない

そんな想いが私のスマホはてなのログインに進ませたわけである。(まずログインがめんどかった)


私の子供の名前は私がつけた。

つけたかった名前があった。男児が生まれれば迷いなくこの名前にすると中学生の頃から思っていた。

好きな作家の好きな小説の登場人物とった名前である。

だが

子が生まれる前の年に人気のドラマでその名前が使われてしまいついぞ名付けランキングに入選されてしまった。

悔しかった。

そのドラマの脚本家を恨んだ。

しかもそのドラマ私は好きじゃなくてみてなかった。

ちくしょう、私の中学生からの夢を。

ずっと、それでも関係なくその名前をつけるか悩んだ。妊娠中悩みに悩みまくった。ハゲるほど悩んだ。

しかし最終的には別の名前とした。生まれる少し前に思いついた名前だ。夫も気に入ってくれた。

結果SNSで公表したいほど大のお気に入りの名付けとなった。


君の名前にはいくつかの意味が込められている。

君が気に入ってくれることしか私の頭にはない。自信家な親ですまない。

小さい君にも色々思うことがあるだろうけれどそれなりにご機嫌で元気に育っている君にもう既にありがとうという気持ちでたくさん。

マジ感謝。

妊娠中期雑感 コロナ禍の職場復帰

2ヶ月以上ぶりの更新になってしまった。

なぜかって?産休に入り、PCに触れる機会がなくなってしまったからだ。

iPhoneからログインして記事を書いている。朝の7時。鉄分入りのヨーグルトを食べ終えた。

さて今回はつわり後の妊娠生活について振り返ってみる。


私がやっとつわりがおさまったなと思えたのが5月の20も過ぎた頃だった。

3ヶ月以上はつわりで毎日24時間苦しんでいた。

普通は2ヶ月くらいなので、長かった。本当はGW連休終わりで復帰予定と伝えていたが叶わなかったため、6月から職場復帰を果たした。

といっても4〜5月は新型コロナウイルスが流行し安倍首相が緊急事態宣言を、小池都知事が三密を避けろと、国がとにかく自粛せえよという時期で在宅ワークが自社でも推奨されており上司からも無理に出てくるなと言われた。

6月に出勤したとき、初めましての新卒の子もやっと全体朝礼に参加できたといったくらいにはコロナ禍であったようで私は報道でしか知りえなかった世間の兆候をやっと肌で感じることができた。観光場所にある会社最寄駅に降り立った時ビックリするほど閑散として静かで寝ぼけた浦島太郎な私は何事!?と思った(コロナごとです)。


さてそんな寝ぼけ野郎は出勤初日に帰り道階段でコケかけました。

電車が来ていたので急いで階段を降りようとしたのがバカでした。筋肉が落ちているということに鈍感すぎました。カバンの紐ですべって、冷や汗をかきました。マジでバカ。ごめん腹の子。

この時少し出たお腹についてやっと「私がやらかしたらもう一つの命を奪う」ということを身にしみて感じた出来事であった。

それからは階段も手すりを持ち(消毒だらなんだら言われてる時で嫌だったけど)、なるべくはエレベーターを使い、歩きスマホなんて一切やめて車や自転車にも気をつけてビクビクしながら外へ出るようになった。

こんなことは女の体でしか感じれないだろう。責任。重い二文字が日々私を緊張させた。車の助手席に乗っていても緊張した。

そんな時期に、おっさんが妊婦の腹を蹴っただのいう報道を目にして死ぬほど辛く暗い気持ちになった。

コロナ感染も怖かったし

職場復帰できたことは嬉しかったが、1〜2週間ほどで体も辛くなり会社へ行くことも怖くなってしまった。


職場復帰できたことは本当に本当に嬉しかった。浮かれて母にやっぱ会社いいわなんて報告したほどだ。

長い髪もバッサリ首の上まで切り意気揚々としていた。

つわり前から体調を崩して4ヶ月以上仕事できておらず

迷惑以上の迷惑をまわりにかけた。精神的に辛かった。

復帰してもすぐ産休に入るため、雑務やサポートの仕事のみになってしまったが、

それでも周りとコミュニケーションできるだけでも嬉しくて社会から断絶されて日がな一日万年布団の上でオエオエしていた自分が嘘のように思えて晴れやかな気持ちだった。

若い子たちに質問されたりしても顔がニヤけていたと思う。気持ちわりー腹ボテババアだな。


さてでもである、暑さも増し毎日職場に行くのがまず体が辛くなった。

貧血、貧血、貧血…。

腹痛 (普段はしない便秘)とか頭痛(薬が飲めない!)にも悩まされたが

1番はこのふらつきなどの貧血症状だった。

座っているのも辛かった。

(だいぶ後の検診で血液検査の鉄やヘモグロビンの値が基準値より低いことが判明した。)

なるべく在宅勤務に変更してもらって、会社に出社できるのは週の半分にも及ばなかったかもしれない。

ただ我が社、コロナ対策として6月末まで週一の休みを全社員に与えてくれていた。え、、ホワイト〜〜。これが助かった。

また妊婦は申請すると20日間の特別休暇が付与された。プラチナホワイト〜〜〜!

この特別休暇は産休を早めに取得するために使わせていただいた。ありがとう無労働所得ほんとにありがとう。


ちなみにつわり時期の収入については傷病手当を申請した。

何もしなくても税金や年金など生きているだけで毎月お金がとんでいきます。血涙流す思いで泣く泣く払っていたが、この間ついに約3ヶ月分の傷病手当が入金された。給料の2/3程度入ってくる。もらえるもんはもらうしかない。

それ以外は有休を使った。

特別休暇のおかげで私は1ヶ月以上早く(普通は予定日の6週間前から取得できる)産休に入ることができた。

体がしんどかったこと、コロナ感染のこと、外出への恐怖(外食は今しかできないと思って行ってたけどね)、地味に辛いマスク生活など考えてとにかく早く休みたかったので助かった。これ以上自分以外の心配をするのは無理だと思った。

胎動はドコドコと激しく、手足に湿疹ができて痒くて非常にイライラし寝付けない日々だった。


食べ物に関してはとにもかくにも何よりも甘いものが美味しくて仕方なくなった。

フルーツグラノーラ(チョコバナナ)をむさぼり食べた。

あれはなかなかの高カロリーで、食べすぎると良くないことはわかっていたが止まらなかった。

菓子パンが夢のようにおいしかった。

チョコレートのお菓子を買い込みいつもの3倍以上は食べた。

朝ごはんもいつもはチーズトースト一択なのに苺ジャムもしくはピーナッツバターをべったり塗ったトーストを食べないと1日が始まらなかった。

お酒は相変わらず飲みたかったが、キリンの零イチを箱買いして何とか凌いでいた。


もちろん体重は増えた。ただ、単に食べていなかったので反動で一気にドコッと増えたがそれでも妊娠前の体重にはしばらく戻らず余裕があった。

一応YouTubeを見て夫と10分エクササイズとかもしていた。竹脇まりなさんのやつ。


そんな妊娠中期(職場復帰から産休まで)であった。(まとめもせずむりやり終わる)



次回は妊娠後期、続いて出産レポ、妊娠にかかるお金などしばらくそういうことを書き記しておきたいとおもう。たぶん。

つわり雑記

さてブログのタイトルも何やら物々しく決めたところで

前回の続きとつわり中に考えていたことについてまた取り留めもなく雑記していく。

 

つわりがはじまる前から休職していた私はそのまま会社を休み続けた。

つわりは最初は吐くまでいかなかったので無理をすれば会社に行けるのでは、みんなこれぐらいじゃ休まないのでは、つわりで会社休む人ってどれぐらいひどいものなの?

ととにかく「つわり ひどい」とか「悪阻 休む」とかで検索しまくっていた。

テレビを見るのも音楽を聴くのもなぜか嫌になり

いつもやっているアプリゲーム、私の場合はポケモンGOとキンプリプリズムラッシュライブという音ゲーもやりたくなくてほぼ一切開かなかった。

とにかくひたすらTwitterを見る日々。

ちょうどコロナウィルスが蔓延しはじめたせいでその話題ばかりだったが。

外にも出ないのに人一倍コロナに関するネット情報に詳しくなっていた。。

 

Twitterでも、あくの強い文章やエロ絵なんかが見たくなくて

RTでまわってくるものやフォローしている人をばっさばっさとブロックしまくった。

 

悪阻中は食欲も性欲もなくなり睡眠できたらうれしかった。夜眠れないときはひたすらLINEポコポコというアプリゲームにいそしんだ。

気分がいいときは実家にある漫画を読んだ。吉田秋生作品にもう一度酔いしれた。吉祥天女よきよき・・。

 

また夫は週末になると実家に来て泊ってくれたのはとてもうれしかった。

実家の家族たちと自分の配偶者が仲良くなったり、実家を気に入ってもらえることはとにかく嬉しかったし夫の食生活も心配だったので母の食事をうまそうに食べているところを見て安心した。

私はずっと横になっていて夫はその横でパソコンをいじって仕事をしていたりする。

何もないけどそれだけで安心した。気は多少使うけど実家の雰囲気と夫の性格によりそれ自体は大したことなかった。

ただ夫のにおいと夫が来た時に使う客間のにおいがつらかった。

夫のにおいはほぼほぼ衣類のにおいだったんじゃないかと思う。口のにおいとかはあるけどそれはキスとかしなければ大丈夫だし。

割と好きだったハミングの柔軟剤のにおいはつわりが終わった今でも少し苦手になってしまった。

 

夫について今でも心に引っかかる言葉があり

夫は毎年3~4月ごろ繁忙期に入る。

去年から忙しくなると病み気味になってしまい、最悪な上司がいるので気の毒には思っていた。徹夜するからかわいそうとかじゃなくてその上司の理不尽かつスケジュール性のない傲慢な押し付けにやられてしまうのがかわいそうなのである。

今年も4月はやはり忙しかったようで私にLINEでぐちぐちぐちぐちずっとメンタルやられLINEを送ってきていた。

ただ私もそれどころじゃなかった。つわりで弱り切った体と精神に既読をつけなくても連続で送ってくる病みLINEに返す余裕なんてこれっぽっちもなかった。

ちょうど義理の母からLINEが来た時に、旦那や周りを頼ってねって言ってくださったのでここぞとばかり夫さんも大変そうで・・と返信しておいたら義理母が夫に電話なりLINEなりではげましてくださったようだった。持つべきものはマザコンかつムスコンかな。(失礼すぎる)

 

そんな時に言われたのが

「俺も妊娠して会社休みたい」「会社に行きたくなさすぎるから悪阻変わるから会社行ってきて」

などの言葉だった。これはさすがに腹が立った。

変わってくれるなら仕事なんかなんぼでもするわと思った。

 

妊娠して本当にまじめに女なんて損だと毎日呪われたように繰り返し思っていた。

大人になって男に生まれたかったと何度思ったかしれないが

こんなに生きていくうえで男女に差があっていいものだろうかと恨んだ。

悪阻に耐えても出産の恐怖がある。

子育てにおける母乳などの不平等さも張ってきた自分の胸を見つめつらくなる。

ゆるんだ骨盤のせいで尾てい骨が痛み、西松屋で買ってきてもらったでっかい綿のパンツ、着替えもせずずっとパジャマすっぴん、ましてお風呂に入れない歯も磨けない

人としての尊厳みたいなものを失った女を捨てた見た目で内臓と未来は女であることに呪いをかけてくるような

とにかく悔しい気持ちになった。なんで女に生まれたのだろうと。

これはつわりが終わった今もずっとだけれど

何がハッピーマタニティライフじゃ無理やりハッピーとかつけてふざけんなよと思っている。10か月も腹に何か居座っていて50センチ3キロほどのものを股を割いて出すとかいう恐怖を持ったまま過ごすことのなにがハッピーなんだ。

私の場合、子供はほしかったっちゃほしかったけれど

子供が欲しい意味の本質についていまだに自分の中でおさまっていないところがある。

何のために子供が欲しいのか。

 

20代のときは子育てなんて考えられなかった。自分みたいなものに子供なんか育てられないと思ったしその責任の重さに耐えられないし子供がいる人のことをうらやましいと思うどころか子供に時間をとられて大変で友達とも遊べなくなるししんどそうとしか思えなかった。

30代になって子供を産むにもリミットがあることはわかっていたが

そのギリギリまで考えたくないなと思っていた。

周りも子供を産んだらとか思っていたら私の周りはまだまだ婚活中とか結婚はしても子供はまだとか結構多かったせいもある・・。

 

今の夫と出会って順調にそろそろ結婚だなーってなったころ父の癌が再発した。

私がプロポーズされたとき父は余命宣告された。2018年5月。余命1年。結局1月半しか生きれなかったけど。令和の年号も知らぬままいってしまった。

いたときは早く結婚式を挙げなきゃって思ったけどそれどこじゃない悪化をたどり、あれよあれよというまに先にお葬式をあげることに。

人がなくなるというのはすごい。知らない親せきたちのことがよく見える。家族のつながりも深まり他人への信頼も不振もありがたみもしがらみも見える。

私は三人兄妹の真ん中だが兄妹がいてよかったと心から思った。

父が亡くなり、私は早く結婚して子供を産んで家族を増やそうと思った。

人が一人いなくなる穴は大きくて、寂しくて、いたたまれなかった。

会社やお金のことも大変だったけれど、母を支えなくちゃとしっかりしているフリをして偉そうなことを色々言ったかもしれないが、4人で家族を回せるように当時は頑張った。

そして忌中ということで結婚式は年内にする予定だったが一年延期しようと決めた。結婚したのは2019年9月。早く結婚したかった。明るい話題を周りに届けたかった。

明るい話題を言えば次のイベントは妊娠である。

家族を増やしたいという気持ちが焦りとにかく早く妊娠したいと思った。

子育てしたいとか、愛する人との子供が欲しいとか、なんかよくわかんないけど皆さんが子供を切望するのってどういうところからくるんでしょうか?家庭を作りたい?

私はその熱が高くないまま妊娠してしまったのかなと思う。

将来を考えて、自分の老後を考えて、ライフステージ的にちょうどいまかなと思うので子供を授かれてそのこと自体はとても幸せだと思う。人が一人増える、すごいことだ。

ただなんとなく、飼ってるペットが死んだから次早くまたペットが飼いたい、みたいなノリが少なからずあることは否定できない。前飼ってた犬が死んだときすぐ次の犬を探した。寂しいから。

はっ、寂しいからみんな子供を産むのか・・?違う?

確かに夫と二人きりでずっといるのは寂しいと感じるしな。。

 

この話はこの辺にしておこう。ただ男女不平等の不満はこれからもこのブログに書き綴っていくことだろう。

 

お腹は徐に出始めてきていたが体重はグングン落ちていった。

最終は4か月で7キロ近く落ちた。

結婚式のときは1月半で5キロ近く落としたので数字としてはそんなにかもしれないが

なにしろげっそりしていた。落ちる分にはうれしかったけどブスになっていたんじゃないかと思う。

体重はもう1か月で元に戻って今は増えるのが怖いってくらいです。

ただマイナスからのスタートのほうが楽だね、妊娠後期の体重管理。

 

今日はこの辺で。

はてなブログを開設した経緯

2020年2月に妊娠が発覚し、今28週となった。

本日の出勤をもって明日から産休に入らせてもらうのを機に妊婦ブログをはじめてみようと思う。

ただの記録で誰の役にも立たないけど、ただ自分の考えを整理するためだけにつらつらと書いていこうという心持ちでスタートしていく。

 

まず明日から産休なのだがうちの会社は今は結構ホワイトなので

妊娠して申請をすればLADIES休暇という有給が20日付与される。

これと夏休み5日間をあわせて、本来なら8/27からの産休を前倒しで取らせてもらえることになった。

ちなみに有給は悪阻で休んだ時にすべて使い切った。

 

悪阻についてまず書きたい。twitterでも書いたが

妊娠初期はあまり公表しないほうがいいのかな~なんて妊娠前は思ってたけど

こんなにも辛いものだとは思わなかったので普通に愚痴というか心情なり症状なりをボロボロと吐露していた。

1月半ば、まだ妊娠する前から体調が悪くて腹を壊し

会社を連続で休んでいた。医者に行って過敏性大腸炎の診断書をもらい休職手続きに入ったところで妊娠が発覚しそのまま悪阻で会社に行けなくなった。

最初のほうは今思えばまだマシだったが辛かったのはニオイとゲップと吐き気(吐かない)から始まった。

スナックパンを枕元に置いて就寝した。夜眠れない時も多くてスマホTwitterをずっと見ていた。

朝気持ち悪くて起きる毎日が本当に嫌だった。

夫は協力的で家事も全部やってくれたしご飯も買ってきてくれた。

でもほとんど総菜の揚げ物で私はだんだんそれらが食べられなくなっていった。

今日何食べたい?何買って帰る?のLINEもそのうち鬱陶しくなってしまった。

最初は食べづわりかと思ったがスナックパンすら食べるのが厳しくなっていった。

2月後半になって食生活もボロボロになってきて、ついに吐いたりしはじめたので実家にお世話になることにした。

ちょうどいとこの結婚式があってその日は体調も悪くなく夫婦で出席することができた。母の車で会場まで行きそのまま私だけ母たちと一緒に実家に帰ることにした。

実家に世話になれるのはホントにありがたく買い物に行かなくてもある程度食べ物やらそろっているのが良い。自分の家は冷蔵庫を開けてもストックなんてものはない。夫はその日食べる分しか買ってこないからだ。スナックパンしかない。もうスナックパンはいらんねや。

そして結局GWまで実家には世話になり続けることになる。

 

えづきやゲップがひどかった。歯磨きは恐ろしかった。

ひたすら横になって布団の中にいた。体力もなくなりげっそりしていた。

犬のにおいがひどく、特にうちの犬は室内でトイレをするためそれで何回吐いたかしれない。犬は大好きだけどこの時期さすがに仲良くできなかった。

たまに血まじりの時もあった。

吐くときは、何か食べたり飲んだりした後のほうがまだ味があって酸っぱくなくて吐きやすかった。ペロッと吐くときもあれば2階まで響く大音量で死に物狂いな時もあった。

朝にトースト半分食べれたらかなりいいほう、のどが渇くのにコップ一杯の水を飲むのもしんどくて(のどにずっと何かつかえた感じがする)チョビチョビ飲まねばならないこともストレスだった。

魚や生野菜などニオイの強いものは食べられなくなった。晩ご飯は、おかずを一口ずつ食べるといった感じ。

よく食べていたのはDoleのアイスキャンディーバー。アイスの実など。ビスコも食べづわりっぽい時は食べていた。

だいたい12~16週で終わると聞いていたため5月には仕事復帰をする予定だったが

結局だんだんひどくなり悪阻が終わったのは5月の後半だった。

4か月以上悪阻に苦しんだ。

おさまった!?という淡い希望も盛大に吐いて「まだだった・・」と何度も失望した。

 

悪阻ってイメージでは1~2週間ぐらいのイメージだった。

こんなに長いなんて知らなかった。赤子を宿したのに速攻で死にたかった。会社にも迷惑かけるし周りにも甘えたよりまくりで毎朝やっぱり今日も気持ち悪いと絶望の目覚めで出口も見えずホントに死にたくなる。

 

出産まで悪阻が続く人もいるらしいという情報を聞き震え上がっていたがなんとかおさまって本当に本当に良かった。

6月に仕事に復帰したときは夢みたいで泣きそうだった。ずっと横たわって何もできなかったのにと感慨にふけった。もう日常生活には戻れないのではと思ったのだ、本気で。

 

今日はこのぐらいにして、今から会社PC返却の手配をする。